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第9SS装甲師団 ホーエンシュタウフェン(だいきゅうSSそうこうしだん、独:''9. SS-Panzer-Division Hohenstaufen'')は、武装親衛隊の38個ある師団のひとつ。名称の由来は神聖ローマ帝国の王朝の一つホーエンシュタウフェン朝、とりわけ第6回十字軍を率いて聖地イェルサレムを獲得したフリードリヒ2世(1194~1250年)から付けられた。 == 編成 == 1942年末、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはそれまでの東部戦線における武装親衛隊の活躍に鑑みて、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーに対して新しいSS師団の創設を承認した。これを受けて1943年1月、2個の装甲擲弾兵師団の編成が開始された。当初識別のためSS装甲擲弾兵師団9と付けられた師団は、ベルリン近郊のリヒターフェルデでSS補充大隊LSSAHを基幹とし編成された。兵員の70%が徴集された新兵で、その大部分をハンガリーの民族ドイツ人が占め、師団員の60~70%が18歳であった。 2月、フランスのマイイ・ル・カン演習場に移動、15日に初代師団長としてヴィルヘルム・ビットリヒ少将が任命された。3月、ホーエンシュタウフェンの名称を受けSS装甲擲弾兵師団ホーエンシュタウフェンとなった。10月22日〔Tessin, p.156.〕に第9SS装甲師団ホーエンシュタウフェンと改称し同時に第1、第2SS擲弾兵連隊が第19、第20となり、他の所属部隊は9の番号で統一された。11月12日、第16SS装甲擲弾兵師団RHSSへ一部の部隊が移籍した。 1944年2月、装甲教導師団と交替で南フランスの地中海沿岸へ配置転換され、3月、実戦配備可能と判断され第10SS装甲師団フルンツベルクと共に第IISS装甲軍団を構成、軍団司令はパウル・ハウサー上級大将が着任し、そのままOKWの予備となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第9SS装甲師団」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 9th SS Panzer Division Hohenstaufen 」があります。 スポンサード リンク
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